SERENDIPITY NOTES / 読み物
正解を探すのではなく、動きながら正解をつくっていく。
偶然の中に可能性を見つけ、好きな方へ動きながら、まだ名前のない未来へつなげていく。
Serendipityという屋号をつけた時、
私は「そんな人になりたい」と思っていました。思いがけない偶然から、何かを見つける人。予定になかった出会いや出来事を、次の未来へつなげられる人。そんな生き方ができたら素敵だなと思って、この名前を選びました。
でも最近、少し違うことに気づきました。なりたかったのではない。どうやら、昔からそうだったらしい。
今日は、この屋号に込めた意味と、私が占いを通して何をお伝えしたいのか。少しだけ、私自身の話をさせてください。

好きなことしか、やってこなかった。
振り返ってみると、私は昔から、「これをやったら、将来何の役に立つのか」を、それほど上手に計算して生きてきた人ではありません。好きだから、やってみる。面白そうだから、行ってみる。なぜか気になるから、もう少し近づいてみる。
美術も、旅も、自然も、人との出会いも、占いも。その時々では、まったく別のものだと思っていました。
38年間続けた美術教育も、教員を辞めたら一区切りだと思っていました。ところが、終わらなかった。色を見る。余白を見る。構図を見る。そして、美しくないものには、どうにも落ち着かない。今、ブランドやこのWebサイトをつくる私の中で、しっかり働いています。
教師として身につけたことも同じでした。人がどこで分からなくなるのかを見る。難しいことを、その人に届くところまでほどく。教室を離れても、私はまだ教えている。
仕事は変わりました。使っているものは、案外変わっていません。人生とは、なかなか面白いものです。
占いも、「当たる」だけでは足りなかった。
私は、四柱推命、九星気学、姓名判断、手相、家相などを学んできました。それぞれに違う魅力があります。
四柱推命では、生まれ持った本質や資質を深く見ていきます。手相には、その人の「今」が表れます。そして私自身が、とりわけ大きな変化を体感してきたのが九星気学でした。流れを読む。時期を読む。方位を見る。そして、実際に動いてみる。ここが、私は好きなのです。
知って終わりではない。足を使う。どれほど素晴らしい運勢を聞いても、本人が一歩も動かなければ、現実はなかなか動きません。
だから私は、占いを「未来を決めてもらうもの」だとは考えていません。自分を知る。今いる場所を知る。流れを知る。そこまで分かったら、私は次を考えたい。で、どうする? ここからが、面白い。
運を知り、迷いを減らし、次の一手を整える。という言葉を大切にしています。占いは手段です。人生の答えを、私が決めるわけではありません。歩くのは、その人です。

正解は、最初から見えているとは限りません。
このnoteやホームページも、そうでした。最初から今の完成形が見えていたわけではありません。AIと話しながら、「これは好き」「これは違う」「もっと静かに」「もっと美しく」「でも、きれいなだけじゃない」。そんなやり取りを、何度も重ねました。
一つは、まだ言葉になっていない私の感覚を拾い、世界観や文章へ変えていく。もう一つは、それを実際に動くものとして形にしていく。それぞれ違う強みをつないでみると、最初には想像していなかったものが生まれ始めました。
誰か一人が、最初から正解を知っていたわけではありません。作る。見る。違和感に気づく。直す。そこで新しい可能性を見つける。また、つなげる。そうやって、正解を見つけたのではなく、動きながら、正解にしていった。考えてみれば、私は昔から、これを繰り返してきたように思います。
失敗にも、後から別の仕事が回ってくる。
以前、新しいシステムの設定に、一晩中格闘したことがあります。分からない。エラーが出る。直したと思ったら、また止まる。その夜は、まったく美しくありませんでした。
でも、どこでつまずき、どうやって抜けたのかを、一つずつ残していました。すると後になって、それが同じところで迷う人のための案内書になりました。自分が迷った道が、次の人の地図になった。
失敗がすべて成功に変わる、などと言うつもりはありません。失敗は、失敗です。つらかったことを、無理に美しい物語にする必要もないと思っています。
ただ、失敗にも、後から別の仕事が回ってくることがある。意味は、急いで決めなくていい。遠回りした時間。うまくいかなかった仕事。なぜか心に残っている人。理由もなく惹かれた場所。役に立つとも思わず、続けてきた好きなこと。
その時には何の関係もないように見えたものが、何年も、時には何十年も経ってから、「ああ、ここにつながっていたのか」と分かるかもしれません。
だから私は、「人生に起きることには、すべて意味がある」とまでは言わなくても、今はまだ意味が分からない。それなら、あると思うのです。すぐに答えを出さなくてもいい。
人生を信頼して、好きな方へ動いておく。
そのくらいが、ちょうどいい。私にとっての、Serendipity。今なら、この言葉を以前とは少し違う意味で説明できます。
Serendipityとは、幸運な偶然がやって来るのを待つことではありません。予定になかった出来事の中に、「ん?」と心が動くものを見つける。拾ってみる。誰かとつないでみる。やってみる。違ったら、また考える。そうしているうちに、最初には名前さえなかった未来へ出ることがあります。
だから私にとってSerendipityとは、偶然を待つ力ではなく、偶然の中に可能性を見つけ、まだ名前のない未来へつなげる力。もっと短く言えば、偶然を、可能性に変える。そういう生き方なのだと思います。
だから、「運の設計室」をつくりました。ここは、未来を決めてもらうための場所ではありません。迷った時に、現在地を確かめる。自分が持っているものを知る。流れを見る。そして、次の一手を考える。そのための場所です。
人生の設計図を、私が描くわけではありません。それは、その人自身のものだから。私にできるのは、見えにくくなったものに光を当てること。そして、扉を開けること。私は扉を開ける人。歩くのは、その人。そんな場所でありたいと思っています。
Serendipityという名前をつけた頃、私は、この名前に似合う人になりたいと思っていました。けれど、人生を振り返ってみると、美術も。教育も。旅も。占いも。人との出会いも。失敗も。そして今、AIと一緒につくっている新しい仕事も。一見ばらばらだったものを拾い、つなぎ、また次へ運んできました。ずっと、そうだったのです。
だから最近、少し可笑しくなります。一生懸命なろうとしていたものに、とっくになっていた。いや。もしかすると、最初からそうだったのかもしれません。なりたくて付けた名前が、もともとの私だった。
人生には、あとから意味が分かる出来事があります。今日の私にも、まだ意味の分からないものがあります。それでいい。人生を信頼して、好きな方へ動いておく。そのうち、またどこかでつながる。そして、いつか振り返った時に。伏線、回収!


松尾純子.|Serendipity|運の設計室